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2023年2月 2日 (木)

創刊95年の記念日

はや2月になってしまいました。今日も寒い日だったけど、陽が上がったらポカポカ陽気、と思ったら冷たい小雨がふりだしたりと変な天気でした。
今日も昔の本をひっぱりだして読書でした。
2月1日は赤旗創刊95周年、命がけで「反戦平和を訴え」「侵略戦争反対」を叫び続けた赤旗、
そのために命を奪われた先達も多く・・・・と思うと厳粛な思いです。
今は、テレビやネットで様々な情報を得ることができるけれど、やっぱり事の真実は赤旗が頼りで、今は赤旗のみ購読です。
ページ数が早く元に戻りますようにと祈るばかりです。
憲法と専守防衛を投げ捨て、軍拡にひた走る岸だ政権の下、新しい戦前にしないように益々真実の報道が求められます。
私の赤旗との出会いは69年前、やっと2ページのぺらっとしたものでした。
その頃の事は1年前のFBに書いていますのでシエアしておきましょう。
テキストの画像のようです
はや2月になってしまいました。今日も寒い日だったけど、陽が上がったらポカポカ陽気、と思ったら冷たい小雨がふりだしたりと変な天気でした。今日も昔の本をひっぱりだして読書でした。
2月1日は赤旗創刊95周年、命がけで「反戦平和を訴え」「侵略戦争反対」を叫び続けた赤旗、そのために命を奪われた先達も多く・・・・と思うと厳粛な思いです。
今は、テレビやネットで様々な情報を得ることができるけれど、やっぱり事の真実は赤旗が頼りで、今は赤旗のみ購読です。ページ数が早く元に戻りますようにと祈るばかりです。憲法と専守防衛を投げ捨て、軍拡にひた走る岸だ政権の下、新しい戦前にしないように益々真実の報道が求められます。
私の赤旗との出会いは69年前、やっと2ページのぺらっとしたものでした。その頃の事は1年前のFBに書いていますのでシエアしておきましょう。
テキストの画像のようです
2022年2月1日
私が赤旗と出会ったのは54年でした。
70年史によれば、戦後直ちに再刊第1号は1945年10月20日とされている。
46年1月8日号から題字アカハタとなり2月3日に5日刊となる。47年10月日刊(6日)となる。49年9月完全日刊、
50年6月26日マッカーサーによりアカハタ発刊停止、
52年5月1日徳田一派のアカハタ(週刊)復刻、9月アカハタ3日刊、54年3月アカハタ(6日刊)となる、
55年7月、6全協を経て、55年8月アカハタ発行が中央委員会となる。59年3月アカハタ日曜版発刊、59年11月第1回アカハタまつり、60年4月アカハタ完全日刊、日曜版10ページ建、
55年7月6全協、55年8月アカハタ発行が中央委員会となる。
58年7月第7回党大会を経て、59年3月アカハタ日曜版発刊、59年11月第1回アカハタまつり、60年4月アカハタ完全日刊、日曜版10tページ建にになった。
この間,党は占領軍の弾圧,ソ連や中国の干渉などで党が分裂の苦しい時期を経て、多大の努力の末に
61年7月の第8回党大会で新しい新しく正確な綱領を確定した。
赤旗と共に育った私は、こんな複雑で困難な時期に出会っていたんですね。
「戦争は金輪際ゆるせない、平和への」ひたむきな思いを抱いて、2頁建ての薄っぺらいアカハタを紙に包んで緊張しつつ配ったことを思い出します。
そして毎日増える部数に嬉しい悲鳴を上げつつ配った70年代前半の専任配達の日々、70年代後半、上京後の大学生活を選任配達で賄って卒業した息子、赤旗には様々な思いがよみがえります。
みなさん、本当にご苦労様でした。お互いに拍手!拍手❣です。
後援会ニュース配りも、いつもの住宅ひと回り、今日はほんとに寒い日でしたね。3300歩でした。

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