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2020年8月 6日 (木)

8月6日広島平和祈念の日

原爆について、私があまり語ってこなかったお話があります・・。

『私たちが佐賀に疎開していた1945年8月の戦争末期(私は女学校2年生)、長崎にいたのは母方の祖父母、そして8月9日の長崎原爆!・・

その時は、あの原爆がどんなに恐ろしいものだったか誰も知らなかったが、

とにかく長崎が、とんでもないことになった!と、母はいてもたってもおれなくて、長崎に祖父母を探しに行って、命だけは助かった祖父母を連れて、私たちの疎開で間借りしていたお寺に帰ってきました。

「よかった!よかった!」と命が助かったことをみんなで喜び合ったけど、その時の長崎の様子は、母も祖父母も何も語らなかったし私も聞かなかった。私も随分ぼんやりと生きていたんだ・・と思うし、母も、悲惨すぎて言葉にならなかったのだと思います、

敗戦時も戦後もしばらくお寺で一緒に暮らしたけれど、その時、何を話し合ったのか何も覚えていないのです。

私はあの戦争後、価値観が逆転したことにショックで、ものごと何も、誰も信じられず、生きる目標を失っていたし心を閉ざしていたし、何も考えることもできないでいた。

私たちは父が1年後に迎えに来て京都に帰阪したけど、あの時、祖父母はどうしたんだったのか?・・それから約1年後に相次いで祖父母の訃報が届き、母の嘆き悲しむ姿に大きなショックでしたが、母と語り合うこともなかった。

今から思えば祖父母はやっぱり原爆症ではなかったのかなぁ・・』

後になってそんなこと・・と思いつつ、その思いを封印して過ごしてきたこと今頃になって思い返しています。

原水禁・長崎大会に行ったとき、祖父母の住んでいた町の名前を聞いて訪ねたいと思ったが、わからなかくて諦めて帰ってきたこともありました。

封印したというより、私は何とぼんやり生きてきたんだろう、

もうやり直すことのできない残り少ない人生、祖父母とも母とも、どうしてもっとしっかり向き合って話を聞いておかなかったのかと、悔しい思いです。





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