研修会挨拶
ついでに今日の私の開会挨拶もUPします。
『皆さん、おはようございます。今日は貴重なお休みをさいてこの研修会ご参加、ほんとうにご苦労様です。
たんぽぽ福祉会は19879年創立ですから、今年39年目を迎えます。
この歴史は職員の皆さんの努力と沢山の父母のご協力で今日の「たんぽぽの保育」を創ってきました。
創立当時は枚方一つだった保育園が、いま四つの保育園になって、
保育の仲間もこんなに増えて、年一回集いあって学び合う研修会も8回目となりました。
子どもたちをとりまく社会のありようも、時代の変化とともに大きく変わって、
子どもたちや父母たちの抱える願いや要求もさまざまです。
けれども今、差別・選別の競争社会が広がって蔓延していますが、
誰も一人では生きられない、かけがえのない一人一人が尊重され、
そして仲間とともに生き成長できる、私たちの保育という仕事の中身を、もう一度原点に返って学び合いましょう。
その大前提は平和憲法と子どもの権利条約です。
72年間、戦争で1人も殺し殺されることのない時代を過ごしてきた私たち、
保育の中でも平和の種を子どもたちにと日々の保育で様々な...取組をしてきました。
皆さんもよくご存じのように今年は全国合研第50回集会が大阪で開かれます。
50年前の1969年は、枚方中の乳児保育を求める方々の要求に突き動かされて、
私が自宅開放で乳児保育を始めて2年目、
まわりに保育の仲間もなく孤立無援で手探りの保育を続けていたときでした。
吹田のこばと保育園の岩崎先生に誘われて全国合研を知りました。
大急ぎで参加を決めて、3人の幼な子を残して岩崎先生と大保連の今は亡き横田昌子さんだけが頼りで、
枚方からたった1人、電車を乗り継いで、長野県山ノ内町に駆け付けました。
あの集会は2800人だったそうですが町の体育館いっぱいに埋めた保育の仲間、
無認可共同保育の分科会での交流など、
こんなに沢山の人たちが同じ思いで集まったんだと本当に感動で胸いっぱいでした。
翌1970年2月に枚方保育運動連絡会が結成されたのです。
それから毎年のように山之内町に通い続け、たんぽぽの創立時代のビデオにも残っていますが、
開園前1979年夏には、つくる会の皆さん達と一緒に全国合研に参加して、学んだりカンパを訴えたり、
開園1年目には父母の協力で、職員全員で参加するなど「たんぽぽ」は合研と共に成長してきたと思います。
今年の50周年合研を大阪で迎え成功させようという取り組みが始まっていますが感無量です。
50周年全国合研、大阪合研の成功、みんなで力を合わせましょう。
真鍋先生には、私がまだ保育現場にいるころ、まだアレルギーの事がよく知られていなかった頃から「アレルギーと言えば真鍋先生」と、
今日は、ノーベル平和賞を受賞の「ICAN」についてもお話が聞けることと思います。
また、午後からは、お互い実践を確かめ合うチャンスに、四園での実践交流も予定しています。
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