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2017年11月 2日 (木)

ラオス訪問記

昨年に続き、2度目のラオス訪問です。

スタートの日

台風でびしょ濡れになりながら出かけて、京都駅で新幹線のキップ購入に並びました。

時間に余裕をもって出てきてよかった。でも、台風で飛行機飛ぶのかなぁ・・・。

京都駅でこんなに大勢に人が並んでいるなんて・・・、

皆さん、「投票はお済みですか~!」と叫びたい気持ちでした。

名古屋で同行の石浜さんと出会って、ほっとした。ここでようやく旅気分。

前泊のため中部空港コンフォオートホテルでー泊して、時間通り8時15分に中部空港に集合です。

でも、やっぱり台風のため、飛ぶのは4時間遅れ、セントレア空港で退屈な4時間の待機でした。

乗り換えのハノイで、ラオス行きの便が我々のため、ベトナム航空は出発を1時間遅らせて、待っていてくれることになったとか・・・・。

ラオスは日本との時差は2時間。

王政時代の都、ルアン ババーンのホテルの部屋に落ち着いたのは24時近く、長~い旅の1日でした。

現地ガイドは、カム・ティエンさん。

ラオス人民民主共和国

ACEAN憲章を起草した外交官の国、最もACEANらしい国、ラオス人民民主共和国です。

人口647万人、ラオ族70%、カン族、モン族など49民族が平穏に暮らしています。

北部山岳地帯には、少数民族が夫々民族ごとに小さな集落をつくり、

独特の高床住宅で、従来の生活様式(牛、豚、鶏、アヒルなどと共に)を守って暮らしています。

90%は仏教だそうです。挨拶は、合掌です。

アジアで唯一の内陸国で海がない。大半はメコンでタイとの国境になっている。

通貨はキープ、1万キープは135円、私はお土産を買う予定がなかったので、飲み物代など4000円ほど換金しただけ。

食事 主食は「カオニャオ」というもち米をかごに入れて蒸したもの、フォー(麺)、野菜炒め、腸詰(サイグア)、いろんなものに唐からしやハーブが入っている。美味しかった。

果物は豊富で、バナナ、マンゴー、パパイヤ、リンゴ、ミカンが毎回、出ました。

2日目ルアン・パパーン

朝5時30分集合で、托鉢の行列の見学、見物のみんなはお供物を準備して待ちます。

1人1人の托鉢僧のカゴにお供物を入れます。お供物は3キープ.で売っていました。

各お寺ごとの200人近い托鉢僧の行列は、壮観でした。

..
そして、朝市見物、農家がそれぞれの野菜など.を持ち寄って並べる野菜の豊富で新鮮さ、

珍しい野菜などキョロキョロと眺めて歩きました。

朝食後午前は、雨に濡れながらの王宮博物館と寺院(ワット・シエーントーン)見学。

1年前と同じでした。

そう、そう、この道、通ったねェ・・あっ、ここでアイスクリーム食べたっけ・・・などフランス風の建物が並ぶ道も。

昼食をすませて、オンボロバスで150km離れた、ナムウー川沿いの町 ノーンキャウへ。

途中、多民族国家ラオスで織物を得意とするリュウ族の2つの村に寄りました。

ヨーロッパのバイヤーが訪れるという若い織姫(?)。

繭を紡ぐところからすべて自分でやったというシルクのショールなど、見せてもらいました。

織物購入予定の方々は目が輝きます。

3日目 ノーンキャウからサムヌアへ

日もすっかり暗くなってから到着したノーンキャウのバンガロースタイルのホテル。

広いウッドデッキがあり、すぐ下を川が流れ、川の向こう岸には山が迫る素敵なロケーションでした。
..
暗くなってから着いたので手探りでしたが、部屋は壁がみ風に竹で編んだ壁は、素敵な部屋の雰囲気です。
朝になって、部屋からダイニングを併設したフロントまでの径は、花いっぱいで楽しかった。

但し、ゆっくりする間もなく、今日も8:00出発で、バスで320Km離れたサムヌア、山岳民族の村に寄りながら、目的地サムヌアへ。

13時間のおんぼろバスでのドライブで、着いたの夜の9時前はさすがきつかった。

標高1500メートルほどのでこぼこ山道、細い山道の急なヘアピンカーブ、

途中で鳥が出てきたり牛が寝そべっていたり、街灯も何もない真っ暗な山道、

連日、長時間ドライブで頑張ってくれた運転手さんに拍手です。

4日目サムヌア

ツアー唯一の連泊なので、パッキングの必要なく、やっと少しゆっくりできた朝でした。
ホテルの隣が小学校。7:30には通学の児童が。

予約していたホテルが、間近になって、インフラ整備のため泊まっていた中国からからの一団が、工事が終らず引き続き滞在のため、キャンセルされ、急遽探したものという。

.決して上等とは言えないけれど、オーナーが、現地ガイドのカムディエンさんと同じラオ・リュウ族だとわかり、なにかと便宜を図ってくれました。

だけど、タオルがおいてない、などホテルの常識が不足しているようでした。

やっぱりこの辺鄙な街も、開発が進んでいるらしい。山道のあちこちが堀り返されていた。

午前は、織物の村を訪問。ところが、稲刈りのため、ほとんどの村人は畑へ。

ちょうど農繁期で、村人総出で稲刈りの最中、機械でなくて手作業です。

村には、人影のない、放し飼いの牛、あひる、鴨、鶏などが居るばかり。やっと見つけた数人に話を聞くことができました。

織物の作品を沢山見せてもらったり、

71歳のおばさんが、「これも見て・・」と自分の作品をもってきたりして、仕事場を見せてもらったり・・。

夕暮れ近くになって、モン族の家にお邪魔した。掘っ立て小屋のような土間で、

家の中で薪を燃やして煮炊きして、片隅にベットのような板の台があった。

おばあさんと娘さん。何だか、ドヤドヤと訪問してこちらが恐縮でした。

午後は、洞窟の中に作られた革命軍「パテト・ラオ」の本拠地見学。

自然の地形を利用して作ったラオス独立運動揺籃の地です。

このような洞窟が何カ所もあるという。その中の大規模な2カ所を見学しました。

同じ時期のベトナム解放軍ベトコンの地下施設や山岳地帯に置かれた「ホーチミン指令部」を思い出しすものでした。

5日目、ジャール平原

26日は、8:00出発で山岳地帯を降りて、ジャール平原の町、シェンクアンへ。

途中の村々の民族によって異なる家の形式、女性の髪型やターバンなどを楽しみながら、放し飼いの牛、馬、豚、羊、鴨、鶏などにも挨拶して、昼食のため「Model  Health  Village」の看板の立つ村へ。

山の2つの川の合流地点、この地の繁華街?は数件の店があり、

ここでバナナチップを買いました。ヤマメ風の魚の塩やき、ほう、が美味しかった。

昼食後は温泉のある村、ここはニュージーランドの投資で開いたというが閑散としていた。

地元の人たちが、お風呂に行くように出かけていました。和歌山・熊野の川湯温泉を思い出しました。

今日も、12時間を越える長時間ドライブでした。..

.ほとんど舗装のされていないヘアピンカーブの続く細い道幅。バスは、普通車の1.5  倍の時間がかかるのですねェ。ホントに運転手さんの安全運転に感謝です。

ホテル到着は夜21:00近くでした。

6日目 シエンクアン

真っ暗で、周囲がわからないまま一夜を過ごしたコテジィタイプの素敵なホテルは

ジャール平原の小高い場所にあって周囲の見晴らしがよかった。。

ここも、朝食のため本館に向かった道は花盛り。部屋の外にはトランペット フラワー花盛り。

午前は、アメリカ軍の爆撃で町がすっかり破壊されたという、ポーンサワンへ、.

.あちこちの爆弾の落ちた穴がそのまま残っています。

今は草むらに覆われている広い湿地は、その前は大きな美しい町だったとか・・・。

.奇跡的に残った大仏は、「怒り地蔵」を、そして広島の原爆ドームを思い出させました。

伏し目がちの目と、熱によって少し傾いたお顔。なにかを訴えているようでした。

その後、ムアンクーンの不思議な「石壷遺跡群」へ、・・・紀元前の人たちが・・・、

どうして? 誰が? 何のために?  いかも不思議な遺跡です。 

フランスやユネスコの調査団が調査研究しているらしい。世界遺産登録も・・・予定されている。

石壷遺跡は、この地域のあちこちに点在しています。2カ所の見学です。

石壷を作ったかもしれないという洞窟も見学した。

この道すがら、草むらのところどころに石の標識が埋め込んである。これな~に?

ここから先は「地雷の危険あり」のしるしとか・・・。急に現実の事が‥よみがえりました。

コンサバの街では、パイワット(お釈迦様の骨の塔)を見学、

広い敷地にポインセチアの大きな木がたくさん花を咲かせていました。ここでも機織りの実演と販売が。

午後、シエンクアンに戻りました。この空港でガイドのカムさんとお別れでした。

昼食後、空港からプロペラ機で、ビエンチャンへ。

29日、ラオス最終日をヴィエンチャンのホテル「シティ  イン」で迎えました。

7日目、ヴィエンチャン

帰国のために、パッキングしたスーツケースを小型バスに積み込んで、

帰国用の装束を準備して、ヴィエンチャン市内観光です。

ワットシーサケート寺院は、前回も来たところだったが、今回はこの寺院のお祭りで、

町中大賑わいでした。山岳地域と違ってヴィエンチャンは暑かったです。

お祭りのせいか、国立博物館は閉まっていた。

フランスからの独立を記念して造られた「凱旋門」。

どの国でも独立記念には「凱旋門」を作るんですねぇ。

日本だったら安保が無くなった時に、「凱旋門」をつくったらいいなぁ・・と思った。

私は、3階建ての高い塔には、上らずに下で待っていました。上からの展望は見事だとか。

午後は、「織物博物館」、この施設も見事なラオスの織物の展示即売、素敵なゆったりした設備で、お茶を頂いてくつろがせてもらいました。

メコン川辺を散策、川の向こうはタイで、川の一番深いところが国境だとか。

メコン川の中州も沢山あって、大きなホテルも建てられているところもあるそうです。

ラオス最後の食事は、「中華料理店」(FU MANLD)。

門構えをみて、あっ、去年もここだったと気が付きました。

出国手続きをすませて、日本の台風情報を気にしながら、約1時間で乗継のハノイ空港へ。

ハノイ空港のトランジット手続きの場所で、名古屋行きの人はこちら!、と足止めです。

中部空港向けの飛行機が飛ばないことを知り、さぁ大変

添乗員の牧野さんが、走り回っていました。こんな時、添乗員さんが大変ですねェ。

まぁ、仕方がないか…初めての珍しい経験も持いいいかも、と諦めていたら、

「関空行きは出ますけど、どうします?」と言ってくれて行先変更してもらった。

「ありがとう、お世話になりました」と皆さんとここでお別れ、

急に1人になって緊張をとりもどして、ゲートに向かいました。

このフライトも1時間遅れだったけれど、朝6時半ごろには関空に着いて、9時半に帰宅でした。

ビエンチャンで名古屋行の荷物を預けたのに、関空で無無事に出てくるなんて、感心してしまいました。

同行のみなさんとも気安くおしゃべり出来て、高齢者の私を気遣ってくださって、ちょっと体調に不安を抱えていたけど、無事参加できて良かったです。

この記録、同行の石浜さんが日々スマホに記録されていたので、大半コピーさせてもらいました。

『成田と関空向けは予定通り飛ぶというので、関東の二人、関西の二人は、変更手続き。
残る六人は、航空会社が手配したタクシーで、30分掛けてホテルへ。
ホテルに着いた頃には日付けは変わっていました。5:30には迎えのタクシーが来るというので、短い睡眠を。空港で、日の出を迎え、8:15に日本に向けて離陸。貴重な(?)経験をしました。』(石浜さんより)

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