追悼・山崎豊子展
大阪高島屋で開催の「追悼・山崎豊子展」は、佐藤圭子さんのFBで知り、絶対行きたいと思っていて、大阪に出かけるチャンスを利用して見に行きました。
私は、「暖簾、大地の子、沈まぬ太陽、白い巨塔・・」などなど、山崎豊子さんの作品はほんの少ししか知らなかった。
この展覧会で、改めてなんとすごい先輩だ!と思いました。
戦前、大阪・船場の老舗小倉屋のいとはんだった豊子、京都女専二年で学徒動員の軍需工場へ、半年繰り上げ卒業(1944年3月)し毎日新聞社に働いた。
その時の上司が井上靖だった。井上靖の後押しで小説を書く決心をする。
1945年1月から3月末までの月日記が見つかった。
そこには「‥密かな激しい恋心…、そして生涯忘れることのできない大阪大空襲の日、「あぁ家は焼かれていた、…」子どもだった私もあの日は決して忘れないけど、豊子さんは大人の目でしっかりと見ていた・・・。
「‥ああ一望、焼け野が原だ、この無惨、惨状、戦争は絶対いけないもの。人類の不幸は戦争から始まるものだ。‥」と書き残しています。
こんな経験がその後の作品のバックボーンになったのではないか‥‥。
「暖簾」でデビュー、「花のれん」で直木賞、そして大阪から、日本へ、世界へ、とその筆は広がります。
その創作の準備は、構想から、膨大な取材メモ、…驚くばかりでした。
集会前の慌ただしい時間だったが、見に行ってよかった。
ガイドブックを購入してきたので改めて作品もゆっくり読みたいです。
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