2022年2月1日
私が赤旗と出会ったのは54年でした。
70年史によれば、戦後直ちに再刊第1号は1945年10月20日とされている。
46年1月8日号から題字アカハタとなり2月3日に5日刊となる。47年10月日刊(6日)となる。49年9月完全日刊、
50年6月26日マッカーサーによりアカハタ発刊停止、
52年5月1日徳田一派のアカハタ(週刊)復刻、9月アカハタ3日刊、54年3月アカハタ(6日刊)となる、
55年7月、6全協を経て、55年8月アカハタ発行が中央委員会となる。59年3月アカハタ日曜版発刊、59年11月第1回アカハタまつり、60年4月アカハタ完全日刊、日曜版10ページ建、
55年7月6全協、55年8月アカハタ発行が中央委員会となる。
58年7月第7回党大会を経て、59年3月アカハタ日曜版発刊、59年11月第1回アカハタまつり、60年4月アカハタ完全日刊、日曜版10tページ建にになった。
この間,党は占領軍の弾圧,ソ連や中国の干渉などで党が分裂の苦しい時期を経て、多大の努力の末に
61年7月の第8回党大会で新しい新しく正確な綱領を確定した。
赤旗と共に育った私は、こんな複雑で困難な時期に出会っていたんですね。
「戦争は金輪際ゆるせない、平和への」ひたむきな思いを抱いて、2頁建ての薄っぺらいアカハタを紙に包んで緊張しつつ配ったことを思い出します。
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